
- <優秀作品賞>(五十音順)
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- A級MissingLink『限定解除、今は何も語れない』
- 劇団五期会『歌姫』
- kondaba『棟梁ソルネス』
- 立ツ鳥会議 『そびれるしま』
- ニットキャップシアター『さらば、象』
- 兵庫県立芸術文化センタープロデュース『明日を落としても』
- 兵庫県立ピッコロ劇団『タラレバ幽霊とタカラの山』
- メイシアタープロデュース『MOTHER―君わらひたまふことなかれ』
- MONO『デマゴギージャズ』
- ロームシアター京都 レパートリーの創造 市原佐都子/Q『キティ』
- <最優秀作品賞>
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- ニットキャップシアター『さらば、象』
- <観客投票ベストワン賞>
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- ニットキャップシアター『さらば、象』
- <ネクストドア賞>
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- 田宮ヨシノリ(よるべ)
※ネクストドア賞の選評は、「関西えんげき大賞第四回(2025)ネクストドア賞」の ページ参照。
関西えんげき大賞第四回(2025)ネクストドア賞
- 田宮ヨシノリ(よるべ)
第四回 関西えんげき大賞優秀作品賞選考経過
九鬼葉子
―2025年12月22日、大阪市天王寺区の一心寺文化事業財団企画室にてー
副賞の上演支援に横浜の若葉町ウォーフ(佐藤信代表)も協力
選考会冒頭、まず呼びかけ人代表の九鬼葉子から、第4回から副賞の上演支援に、佐藤信氏(劇作家・演出家)が代表を務める若葉町ウォーフがご参加くださることが報告された。50席の小劇場とレジデンス施設が併設された民間アートセンターで、もともと旅公演には「波止場の杭(パーリーナ)」という支援企画があるが、関西えんげき大賞優秀作品賞受賞10団体とネクストドア賞受賞者には、さらに減額。木曜から日曜までの4日間、劇場・楽屋・宿泊(2段ベッドの8人部屋)利用料すべてを含んで、16万2000円(税込)。これは4日間トータルの値段である。しかも楽屋=スタジオであり、舞台と同じ寸法での稽古も可能。劇場は1階にあり、搬入も便利。宿泊施設には、日当たりの良い広いリビングとキッチンもあり、申し分のない環境。関西演劇アーティストに、新しい励みの機会を頂いたことに感謝したい。同施設の詳細をご存じない方のため、授賞式では施設写真をスクリーンに映してご説明することも報告した。
優秀作品賞候補は46作品
さて、選考会であるが、事前に選考委員7名が、それぞれ2025年の1年間に鑑賞した関西の演劇作品の中から、10作品程度を推薦したリストをもとに、1作1作の魅力を語り合うところから始めた。選考委員は、梅山いつき、岡田蕗子、加美幸伸、九鬼葉子、永田靖、畑律江、広瀬依子。推薦のあった候補作は46作品である。 対象は、「関西の劇団」あるいは「関西発のプロデュース公演」であること。関西を拠点に活動する優れた演劇アーティストや、関西で制作された作品の魅力を、広く紹介して行くことが目的の賞である。他地域の劇団が、ツアーの一環として行った関西公演は含まれない。
<優秀作品賞候補作―46作品―>
安住の地『暗室』/iaku「はぐらかしたり、もてなしたり」/A級MissingLink『限定解除、今は何も語れない』/大阪大学中之島芸術センター演劇公演『沼に咲く青いヒナギク』/餓鬼の断食『スイッチ』/空晴『好きだったうた』/くじら企画『屋上のペーパームーン』/劇団大阪『夏の砂の上』/劇団大阪新撰組『砂時計書房、開店2周年』/劇団CLOUD9『ここで待ってる』/劇団五期会『歌姫』/劇団太陽族『横切るひとり、見つめるひとり、なにもない空間』/劇団タルオルム『おとうとが消えた日』/劇団タルオルム『4.24(サイサ)の風』/劇団未来『五人のアルベルティーン』/幻灯劇場『Waltz for Daddy』/コトリ会議きいの会『桃と夜の車』/kondaba『棟梁ソルネス』/虚空旅団『氷河の果てに』/サファリ・P『悪童日記』/THE ROB CARLTON『ENCOUNTERS with TOO MICHI』/スラステ『LIPSTICKS』/清流劇場『キュクロプスー貧民街の怪物』/空の驛舎『祝福』/立ツ鳥会議 『そびれるしま』/筒井潤『墓地の上演』/匿名劇壇『いいから早く助けてく』/突劇金魚『羊と祝祭』/中島らもをしがむ会『こどもの一生2025』/ニットキャップシアター『さらば、象』/万博設計『沈む。躍れ、ひとり』/兵庫県立芸術文化センタープロデュース『明日を落としても』/兵庫県立ピッコロ劇団『新天地へ~ある移民の物語~』/兵庫県立ピッコロ劇団『タラレバ幽霊とタカラの山』/兵庫県立ピッコロ劇団『火のようにさみしい姉がいて』/『FOLKER』/Plant Ⅿ連作公演『げきじょうのひ』#0#1/窓の階『ここはどこかの窓のそと2』/マシュマロテント『そのマンションは海底に建っていた』/マリヤの賛歌を上演する会『マリヤの賛歌―石の叫びー』/メイシアタープロデュースSHOW劇場『a次元のふたり』/メイシアタープロデュース『MOTHER 君わらひたまふことなかれ』/MONO『デマゴギージャズ』/南河内万歳一座『予言者・H』/よるべ『三角形の片隅は』/ロームシアター京都 レパートリーの創造 市原佐都子/Q『キティ』
新しい演劇の地平へ
毎年のことであるが、この中から絞っていくのは、困難を極める。どれも授賞にふさわしい作品である。目的は「関西演劇を広める、広げる」。つまり「この作品はとてもおもしろいので、再演される時はぜひ見てください」、あるいは「この劇団をもしまだご覧になったことがなければ、ぜひ新作を見てください」と、観客の皆様にお伝えしたい思いを込めた授賞である。その意味では、すべての候補作がそうだ。 そしてすでに過去に受賞している劇団の作品をどうするか。質の高い演劇作品を発表しているという意味では、毎年叶っている。ただそうなると、10作品の中に毎年、特定の劇団枠のようなものが生じてしまう。それでは「関西演劇を広める」という趣旨からはずれる。2回目以降の授賞については、目安として「第1回の受賞作品とはまた異なる、新たな演劇的地平へと飛躍された機会」としているが、その意味での作品分析の議論も続く。 その結果、最終候補として、Plant M『げきじょうのひ』#0#1、安住の地『暗室』、くじら企画『屋上のペーパームーン』、劇団タルオルム『4.24の風』、『FOLKER』、そして今回の受賞作10作が残り、計15作品を再論議の上、10作品が決定した。
2025年の優秀作品賞の特徴として、劇場プロデュースによる作品への授賞が3作並んだことが挙げられる。兵庫県立芸術文化センターが開館20周年、吹田市のメイシアターが開館40周年と、記念公演の年に当たり、そしてロームシアター京都が、レパートリーの創造シリーズ第8弾と、それぞれ長年積み上げたアーティストとの関係性を結集した、劇場の力と可能性を強く印象付けた年であった。また民間の劇場では、大阪市のウイングフィールドが「ウイング再演大博覧会」を継続中である。名作の再演を連続上演する企画だが、その中から今回はA級MissingLinkが受賞した。
2026年3月で閉館になる伊丹市立のアイホールでも熱演が続いた。長年お世話になった素晴らしい劇場への感謝の気持ちを込めて、関西の数々の劇団が連日上演。その中からニットキャップシアターが受賞した。そのように、劇場の大きな力が示された一方で、元・維新派のメンバーによるkondabaが初受賞。大阪市内の木工所跡地でイプセン作品を上演し、劇場でない場所を見事な劇的空間に仕立てた。色々な意味で、演劇の可能性を高めた年であったと言えよう。
ほかの最終候補の中では、PlantMの新シリーズ企画『げきじょうのひ』第1弾の評価も高かった。「人間」「争い」「創作」を長期的に見つめていく連作で、定員20名の限られた小空間で巨大な物語を紡ぐ試み。今後に期待が持たれた。他の集団も含め、今後の活動が楽しみである。
優秀作品賞10作の評価理由
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A級MissingLink『限定解除、今は何も語れない』
災害や戦争を暗喩する神話的物語の中に、不確かな現実を活写した、土橋淳志作・演出の舞台。被災した方の悲しみを他者が語るのは僭越かもしれない。それでも別れと喪失の痛みを精一杯想像し、ともに生きたいと願う創作の態度には、説得力があり、時間が経てば経つほど、ひたひたと心に染み入る作品。
A級MissingLink『限定解除、今は何も語れない』
加美幸伸
『ウイング再演博覧會2025』で14年ぶりの上演。東日本大震災の直後に執筆された作品だ。記憶というのはどんどん曖昧になっていく。それだけに前情報で得た本作の主人公、恋人を事故で失う翔平の喪失感が私の心に深く刺さる。風化などという安直な言葉で示せない“あのこと”からの時の経過。演劇の力はきっと、その感情の焦燥を立体化してくれるのだろうと期待して劇場の座席に腰を下ろす。
畳の部屋で足の裏の皮を剥がす翔平。どうも水虫のようだ。それに遭遇して拒絶する妹・奈津美。まさかこのやりとりが後に、喪失感から抜け出せない兄とそれに悩む妹の関係性の鍵として、この話の根幹となるとは、この時の私は全く想像もできなかった。
婚約中の恋人・今日子を、山を走行中の車に鹿が衝突する事故で失った翔平。その瞬間、命を落とした今日子と鹿(鹿神の鹿子)は、空間的時間的裂け目に迷い込んでしまう…
鹿、それは人間と共生してきた自然界の象徴。私たち人間は我欲の中で、天地万物と心なしか軽率に接してきたようだ。そこでの憤怒の兆しが思いがけない出来事(人間vs鹿の戦争)を引き起こすことにもなる。
劇作家の奈津美は恋人の斎藤が演出をする舞台用に書いた戯曲が自分のものでは無いと当惑する。そこで兄が2人また3人と増殖するなど、彼女の兄を理解し切れていない自責がここに表出する。ただこの幾分不条理な齟齬は、快い可笑しみを合わせ持ち、私は心の緊張が解きほぐれていくのを感じた。
なぜ翔平は足の裏にできた水虫を放っておくのか。それは、今日子からうつされたもので、たとえそれが人から疎ましく思えても、彼にとっては共に過ごした証、一体となって喪失の中でもその愛を護り続ける二人の生命の絆。それが、翔平の足の裏に存在している。そしてこれこそが裂け目。ここからの克服が再生への道となるようだ。
そして今日子は翔平の夢の中で「長生きしてよ。そしたら会えるかもよ。」と告げる。
職場に復帰をした翔平。帰宅すると不意打に奈津美が水虫対策スプレーを翔平の足に吹きかける。逃げ惑う翔平。しかし、それを静かに受け入れることで、今日子との想いを未来への希望に求めた。翔平の再生への歩みがここから始まったのだ。
ところが…水虫が奈津美にうつり、今度は翔平がスプレーを彼女の足に吹きかける。
丹念に記憶を再考することで、私たちも“あのこと”による喪失から、風に吹かれつつ再生へと向かうのだ。そんな手がかりをくれ、希望を持って健やかな気分になれた作品なのである。この度の公演は、東日本大震災の直後に制作され、仙台の劇団、三角フラスコさんとの合同公演で大阪、仙台、東京の三都市を巡演した演目の再演作品です。そもそも、この上演戯曲に時節を問わない面白さが、どの程度あるのか、少し心配だったのですが、このような栄誉ある賞に選んで頂き、大変嬉しく思っています。それもこれも、ご来場の皆様、出演者、スタッフ、関係者の皆様のお陰だと思っています。誠にありがとうございます。
(A級MissingLink 土橋淳志) -
劇団五期会『歌姫』
土佐清水の漁師町にある小さな映画館を舞台に、現代と昭和30年代の時間を行き交う宅間孝行戯曲。切ないラブストーリーの因果話を、井之上淳の演出で、情感溢れる舞台に仕上げた。若手とベテラン俳優の共演で、個性的な人物像とその関係性を、生き生きと造形した点が評価された。
劇団五期会『歌姫』
広瀬依子
劇団を維持していくのは大変である。関西では特にそうだ。定期的な公演活動を行うのはもちろんのこと、事務所や稽古場の維持管理や確保、後に続く劇団員(俳優・裏方いずれも)の育成も必要だ。そのような状況のもと、創立50年を超えた劇団五期会は、長年にわたり上質な舞台を届け続けている。ベテランから若手まで、各世代が所属しているのも強みだ。
今回の受賞作品『歌姫』は、若手を中心とした配役であった。舞台は昭和30年代、高知・土佐清水の古びた映画館を中心に展開する。映画館の娘・岸田鈴(石野りく)は、ここで映写技師として働く四万十太郎(中原央人)に恋心を抱いている。太郎は戦争で召集され、四万十川に流れ着いたという設定である。記憶を失っていたが、周囲に助けられ、地域に溶け込んで暮らしていた。二人の間はだんだんと縮まっていき、成就する寸前まで来た時に太郎の記憶が戻り、太郎は妻と子どものもとへ戻っていく。
鈴役の石野はセリフが明瞭で、明るい人物造型に爽やかさが感じられた。太郎役の中原は、記憶が戻った後、妻の元に戻るかどうかの葛藤に人間味があった。中心であるこの二人のほかにも、若手が多く出演し、活気あるセリフの応酬となった。さらに、中堅・ベテランが周囲をしっかり固め、若手を支える役割もつとめた。
このような舞台に出会うと、つないでいくことの大切さを思う。継承と聞くと古典芸能を連想しがちだが、現代の文化である演劇にも通じる。先輩から後輩へと着実に受け継がれているものがあるのだ。演技のほかにも、戯曲の読み方、舞台との向き合い方等もそうであろう。劇団制の長所が発揮された、バランスの良い舞台であった。所謂、新劇系の役者のみの劇団で、書き下ろしや座内演出が困難で、時代遅れな弊団。しかも、受賞作の『歌姫』は既存の戯曲で、ほぼ全てが手作りの作品。そんな作品が高評価を頂けるなんて、光栄で感謝の極みです。次は、最優秀作品賞・観客投票ベストワン賞なんて到底、無理!せめて、五期会の役者が優秀作品賞の作品の出演者に名を連ねられるような、そんな劇団に!皆様方の公演に五期会の役者・演出はいかがでしょうか?関西えんげき大賞に、感謝!
(劇団五期会 井之上淳) -
kondaba『棟梁ソルネス』
元・維新派の石原菜々子と金子仁司による劇団。既存の劇場ではなく、街中に上演場所を探すのが特徴で、本作は大阪市東住吉区桑津の木工所跡地で上演。額縁舞台で上演されてきたイプセンの近代戯曲を、近代建築の廃墟で上演する批評性が秀逸。隅っこ人形劇団ニッチの協力・出演で、人形劇とリーディングを巧妙に組み合わせ、空間の特性を生かした遊び心たっぷりの演出が評価された。
kondaba『棟梁ソルネス』
永田靖
イプセンの『棟梁ソルネス』は、成功した芸術家が抱える世代交代への恐怖、家父長制的価値観の温存、そして欲望と罪の意識といった主題を織り込みながら、主人公のアイデンティティの危うさを描いた象徴性の高い戯曲である。kondabaの二人は、この古典作品を現代の大阪に接続するために、いくつかの独創的な演劇的手法を用いて上演を試みた。
まず注目すべきは、大内木工所跡地という、戦前の大阪の都市の歴史と記憶が折り重なる場所を舞台とした点である。こうした場所性を活用することで、作品の中心的な概念である「家」が観客にとって具体的な空間体験として立ち上がった。火事で焼けた家、現在の家、そして新築の家という本作の象徴的構造は、廃屋の奥行きや暗がりの配置と呼応し、ソルネスの記憶や罪の意識を身体的に感じさせるドラマトゥルギーとして有効に機能していた。
また本作は、全体をいわば「半人形劇」の形式で構成し、人間と人形という次元の異なる表象を舞台上に共存させている。俳優が人形に生命を与えながら、別の俳優が自らの身体によってそれに応答する構造によって、登場人物の欲望や記憶が複数の層に分裂していることが可視化される。とりわけソルネスを誘惑するヒルデを人形として提示したことは、この男性中心的な物語が内包する虚構性を浮かび上がらせる装置として機能していた。
さらに、この男性中心の世界は、ソルネスが築き上げた建築家としての名声によって象徴される。それは「近代」を家の建築というかたちで支えた功績であるが、劇中では花輪を捧げる塔として象徴化されている。上演では、この塔が俳優の一撃によって崩される場面が印象的であった。芸術家の偉業や歴史の積み重ねとして語られてきた「塔」が、実は男性中心の物語の上に築かれた脆い構造であることを暴き出すこの瞬間は、戯曲に潜在する批評性を現代の視点から鮮やかに可視化するものであった。
本作は、近代批判という主題を、現在は廃屋となった大阪の木工所跡地で上演することによって、近代都市としての大阪の歴史をも相対化してみせた。イプセン劇を単に再現するのではなく、随所に用いられる人形の数々、朗読の形式を半ば取り入れた語り物的寓話性、イプセンの時代の近代劇場の構造を踏まえた奥舞台の利用など、空間、人形、身体、声、空間などの多層的な演劇要素を「遊戯的」に組み合わせることで、その解釈の可能性を大きく広げた点は注目に値する。イプセンの作品に潜むジェンダーや権力の問題を現代的に読み替えつつ、独自の舞台言語として提示したこの公演は、古典上演の新たな可能性を示す成果として高く評価できる。受賞をいただいたイプセン作『棟梁ソルネス』は、隅っこ人形劇団ニッチと共に作った(巻き込んだ?)作品です。既成戯曲の上演や他集団とのコラボなどkondabaにとっても初の試みに暗中模索の創作でしたが、ニッチをはじめ、キャスト・スタッフと共にこの手強い戯曲でいかに遊べるかを試みまくった作品になったと思います。そういった試みに賞をいただけたことは非常に大きな励みになります。この度はありがとうございました。
(kondaba 金子仁司) -
立ツ鳥会議 『そびれるしま』
郊外の一軒家を舞台に、現代と20年前の風景が交錯する、植松篤作・演出の舞台。若手俳優達の好演で、疎外された閉塞的な環境の中での人間関係と心の揺らぎ、孤独感が切実に伝わり、救済の余韻が残る。演劇だからこそできる表現を探求している点が評価された。
立ツ鳥会議 『そびれるしま』
畑律江
郊外の新興住宅地に建つ民家が舞台。この地域の住民は交通の便の悪さもあって徐々に引っ越し、もはやここは陸の孤島のようだ。ある時、居間に一組の男女が入ってくる。この家に住む青年と、彼が交際する女性らしい。青年は、家にひきこもっている同居の家族に、彼女を紹介しようとしているのだ。
令和の現在の物語と、約20年前の平成時代の物語が、交互に展開する。平成時代、この家の主だった行晴は、妻を亡くし、中学1年のミナトと小学4年のリクを男手一つで育てていた。学校になじめず、ひきこもりがちなリクを、ミナトはずっと守ろうと考えている。だがある時、行晴が「友人」だという女性、鴨原を連れてきたことから家族のバランスが崩れる。リクは、明るく多弁な鴨原になつくが、ミナトは家庭に入り込んでくる鴨原を拒否。激しく荒れ、外で大喧嘩をして重症を負う。以来、鴨原は姿を見せなくなった。
作・演出の植松篤は、演劇でしかなしえない表現を求め、果敢な挑戦を続けてきた。この舞台では、過去と現在のエピソードが別々に進行するが、時に過去と現在の人物が舞台上で交錯する。座卓上の時計、登場人物が口にする柿の種、スポーツ飲料といった何気ない小道具が、二つの時間軸を巧みに結びつける。冒頭の青年は、当初は成人したミナトのように思えるが、実はリクであり、今引きこもっているのはミナトの方なのだ。はっとさせる反転である。現在と過去のミナトを共に自然体で演じ切った女優の熊谷帆夏をはじめ、俳優陣は人物の心の揺れを繊細に紡ぎ出した。
物心つかない時に母を失ったリクには母の記憶がない。一方のミナトは性に目覚める思春期にさしかかっていて、家族像への強い思い入れがある。同じ家族の一員でも、年齢や性格、心境は違う。家族に訪れる出来事は、タイミングによって、ある者には喜びとなるが、ある者には葛藤の源となる。家族の温かさの裏側にある不安が活写された。
現在。行晴は既に亡く、兄弟は家を出たって構わない。なのに家を離れない二人。切実で濃密な家族の物語が深い余韻を残した。東京で活動していた立ツ鳥会議にとって、関西で創作を始めた数年前はまた一からのスタートでした。あらゆる方面に節操なくお声がけし、その度に、温かいご協力を頂きました。
関西小劇場界の懐の深さ、裾野の広さの賜物である「そびれるしま」が「関西えんげき大賞」と名の付く賞を頂けたことを誇りに思います。公演に参加くださった皆さま、日ごろ立ツ鳥の活動を応援してくださる皆さま、ありがとうございました。
(立ツ鳥会議 植松篤) -
ニットキャップシアター『さらば、象』
伊丹市の市民提供による写真、エピソードをもとにしたごまのはえ戯曲を、小原延之が演出。ある家族の70年の生活史から町の歴史を顕在化。社会の大きな変化の中、地域に根差して生きる個人の営みに光を当てた。アイホールの優れた舞台機構を見事に生かした演出で、劇場に感謝を込めた。アイホールが象となって次の世界へと羽ばたいていくという、荒唐無稽なラストには希望が込められ、閉館するアイホールへのお別れの作品ではあるが、前向きで楽しい舞台に仕上がった点が評価された。
ニットキャップシアター『さらば、象』
岡田蕗子
2026年3月末のアイホール(伊丹市立演劇ホール)の閉館。それに伴い、様々な演劇関係者が劇場への想いを込めた企画を開催した。2025年1月31日~2月3日に上演された本作は、その中でも早くに上演され、ごまのはえが戯曲を書き、小原延之が演出した。以前アイホールが2015年から2017年にかけて実施した「地域とつくる舞台」シリーズ『伊丹の物語』プロジェクトでごまのはえが書いた『さよなら家族』を大幅に改稿・再創作されたもので、物語は伊丹の人々の写真や記憶が元になっている。今回出演の髙安美帆や西村貴治らも当時の企画に出演していたし、ニットキャップシアターのメンバーもアイホールに縁がある。演出の小原も2022年上演の「地域とつくる舞台」のリーディング公演で演出をつとめている。縁の深いメンバーにより、伊丹の物語と劇場への想いが組み合わせられた、忘れがたい作品となった。
劇は大阪万博が開催された1970年の夏、伊丹に暮らすある家族の1日から始まる。軽石豆腐店を切り盛りするみち江(髙安美帆)一家の物語を軸に、劇は変化していく伊丹の街の変遷を重層的に描き出す。神戸港から国道171号線を歩いてくる象、息子のこうじ(西村貴治)が通っていたストリップ劇場、1988年のアイホールの誕生、阪神・淡路大震災の被災、孫の美穂(山﨑茉由)が参加したアイホール中高生演劇フェスティバル「アイフェス!!2005」。2021年のコロナ禍の豆腐店の様子とアイホールの閉館予告。そして、車椅子のみち江が家族とみる伊丹のスカイパークと飛行機。みち江がこの世から姿を消すまで、演者たちは時間の経過を丁寧に身体化させながら、伊丹の物語を可視化していった。
本作の特徴は演劇に関する自己言及的な劇になっていることだ。劇の構造の要は「舞台監督」(尾澤ショータロー)。彼はソーントン・ワイルダーの『わが町』の「舞台監督」のように、「わが町、伊丹」の平穏な日常の幕開けを宣言し、劇の進行と幕引きを見守る。物語の終盤、みち江の父が登場するのだが、実はその俳優は舞台監督を演じる俳優と同一である。その父からみち江は自分が「髙安美帆」に演じられていることを告げられ、驚きつつも自分を演じる俳優へと想いをはせる。「演じる/演じられる」という演劇構造の面白さを生かしたこの場面は、劇場が2008年以来続けてきた「地域とつくる舞台」が、改めて地域の人々・記録・記憶からその存在を認められる場面のようにも見え、劇場の企画・制作というソフト面へのたむけのように感じられた。
メタフィクショナルなこの展開は、みち江たちが演じる劇中劇『マクベス』の一場面を経て、「アイホールが目覚め、立ち上がり、伊丹から歩み去る」という壮大で自由なクライマックスへと至る。ここで秀逸な点は「劇場が歩く」という表現だ。つい、アイホールの閉館に関しては「閉められてしまう」という受動的な喪失感を抱いてしまっていたが、このラストは劇場に「歩く」という主体性と能動性を付与することで、閉館の印象を180度変えた。劇場は閉められてしまう無力な存在ではなく、演劇の力を内包するある種の生命体なのだ。表現の力そして、表現を生み出す空間の力に気づかされる終幕だった。
この主体性、能動性は、劇場の機構を十全に活用する演出でも表現されていた。アイホールの特徴は、35に分割された可動床である。出入口を除く31ブロックが昇降するこの機構は他に類を見ないものであり、様々な表現を可能にしてきた。上演中、この機構が大胆に使われ、物語と絡まりあう形で空間が変化した。通常、機構は上演の仕込みの時に使われるもので、観客の目前に現れることは珍しい。影から表現を支え続けてきたこの機構は、この上演では大事な出演者の一人になっていた。
伊丹に縁の深い表現者たちが再集結し、地域の記憶をすくい上げて劇場への想いと共に再創造したこの物語は、単なる惜別のレクイエムではない。観劇の後に心に残ったものは、寂しさではなく、物理的な「箱」としての建物を超え、演劇の力を内包した劇場という巨大な生命体への深い敬意と感謝、そして次なる地で創造し続けるであろう表現の力への信認であったように思う。『さらば、象』は平成27年度から29年度にかけてアイホール(伊丹市立演劇ホール)が主催した「地域とつくる舞台シリーズ アイホールがつくる〈伊丹の物語〉プロジェクト」の成果を基にした作品です。その時から創作に併走してくださっている髙安美帆さんをはじめアイホールに縁のある俳優さんスタッフさんと一緒につくりあげました。数ある作品のなかから本作が選ばれたのは、沢山の方々のアイホールに対する積年の思いがあってのことと思っております。改めて本作をご覧頂いた皆様、そして伊丹アイホールの皆さま並びに伊丹市の皆さまにお礼申し上げます。
(ニットキャップシアター ごまのはえ) -
兵庫県立芸術文化センタープロデュース『明日を落としても』
阪神・淡路大震災から30年。記憶を次世代につなぐため、兵庫県立芸術文化センターが開館20周年を記念して企画製作した舞台。ピンク地底人3号作、栗山民也演出。六甲山の山裾の旅館を舞台に、現代と30年前の風景が交錯。大切な人達を失い、あの日で時間が止まっている主人公が、大きな喪失と時間をかけて向き合い、再び前に進もうとする。その姿が、生き生きとした人間関係の描写とともに描かれた点が評価された。
兵庫県立芸術文化センタープロデュース『明日を落としても』
畑律江
2005年にオープンした兵庫県立芸術文化センター(西宮市)の開館20周年を記念する作品である。開館の10年前に街を襲った阪神・淡路大震災の記憶を風化させず、希望を未来へ伝えることを狙いとして製作された。作はピンク地底人3号、演出は栗山民也。
舞台は、六甲山系の山裾にある桐野旅館の中庭。2025年1月。旅館の社長、桐野雄介(佐藤隆太)の前に、17歳の若者、神崎ひかる(牧島輝)が現れる。どうやら彼は、毎年この時期にやって来るらしい――。
舞台は、「現在」と「30年前」の二つの時間を行き来しつつ展開する。実はひかるは、30年前に旅館で働いていた定時制高校生。勉学にも仕事にも身が入らないひかるに、当時の雄介は過去の自分を重ね合わせ、かつて自分が打ち込んだボクシングを教え始めた。
シュッ、シュッとグローブが空気を裂き、雄介とひかるの魂は響き合う。ひかるは生活への意欲を燃やし始め、雄介は、ひかるを育てるシングルマザー、真美(富田靖子)への思いを募らせていく。だがその矢先、あの大震災が起きる。観客はやがて、ひかる、真美、そして雄介の義姉で旅館の女将だった京子(田畑智子)が犠牲となったことを知る。
過去の人々が今を生きる雄介と同時に舞台上に存在し、言葉を交わし合う。雄介は悲しむ。あの人々は今もこんなに近しいのに、なぜ記憶はあいまいになり、胸の痛みは薄れていくのか、と。だが夜明けは訪れる。彼は、亡き人との対話を通して自らの思いを見詰め直し、生者と共に歩む明日に目を向ける。
雄介と同じような思いで暮らしてきた人は多いだろう。その思いは、阪神・淡路大震災だけでなく、別の理由で大切な人を突然失った人たちにも共通するかもしれない。現在形のドラマとしてではなく、記録上の物語としてでもなく、「30年」という難しい時間軸と真摯に向き合うことから生み出された演劇。それは、倒れても何度も立ち上がり、この30年を懸命に生きてきたすべての人たちに、そっと差し出された贈り物だった。兵庫県立芸術文化センターは阪神・淡路大震災から10年後の2005年、震災からの「心の復興・文化の復興」のシンボルとして開館しました。そして2025年、震災から30年、開館20周年の記念に製作した阪神・淡路大震災を巡る物語が、このような素晴らしい賞に選ばれましたこと、とても嬉しく思います。演出の栗山民也さん、脚本のピンク地底人3号さん、佐藤隆太さんをはじめとする素晴らしい8人のキャストとスタッフの皆さま、そして劇場に足を運んでくださったお客様に、あらためて心より感謝申し上げます。
(兵庫県立芸術文化センター エグゼクティブ・プロデューサー兼事業部長 永富志穂子) -
兵庫県立ピッコロ劇団『タラレバ幽霊とタカラの山』
谷口雅美・原竹志台本、原竹志演出によるファミリー劇場。「もしあの時~だったら」という仮定と後悔の言葉「タラレバ」。後悔ばかりしていると「タラレバ幽霊」になってしまうという怪談を背景に、大人にも子供にも訴えかける舞台に仕上げた点が評価された。戦争や震災など、歴史的な喪失から、日常的な後悔まで、多彩なタラレバが描かれ、観る者はそれぞれ自分史に重ねながら実感できた。子供達の悩みが次第にユーモアに転じ、俳優達の喜劇的演技も秀逸だった。
兵庫県立ピッコロ劇団『タラレバ幽霊とタカラの山』
梅山いつき
ピッコロ劇団といえばファミリー劇場と言っていいほど、子ども向けの作品には定評がある。今回、シリーズを代表するレパートリーが誕生した。タイトルの「タラレバ」とは、「もしあの時~だったら」の略。舞台は小学校。後悔ばかりしていると「タラレバ幽霊」になってしまうという怪談を聞いた子どもたちが夜中の校舎に忍び込む。彼らはタラレバ幽霊になってしまった京子と出会うが、彼女は戦時中を生きた小学生だった。物語では戦争や震災、歴史的な喪失から、日常的な後悔まで、多彩なタラレバが描かれる。京子を演じた鈴木あぐりは、戦中、ひどい苦しみを味わいながらも、タイムスリップして子どもたちと出会うと、一人の少女に戻って純粋に肝試しを楽しむ京子の心情を細やかに演じた。場面転換では、スムージーという黒子たちのコミカルなやりとりも生き生きしており、舞台全体が躍動感にあふれていた。映像プロジェクションや装置を乗せた屋台を動かすなど、動きのある演出で終始惹きつけられた。観客の子どもたちの反応もよく、ダジャレや歌、コミカルなキャラクターの登場人物なども魅力的だった。谷口雅美・原竹志台本、原竹志演出。
このお芝居はそもそも小学校の体育館で上演することを想定し小学生のためにつくられたお芝居でした。
ピッコロ劇団でのこういった活動は、1995年に起こった阪神・淡路大震災での被災地激励活動がルーツになっています。
ぼくはこのとき中学生でした。
劇団に流れるレガシーのバトンを人繋ぎに手渡していく、その変遷過程を見てくれていた人々がいた、そういう賞だと受け止めています。
心より感謝申し上げます。ありがとうございます。
(兵庫県立ピッコロ劇団 原 竹志) -
メイシアタープロデュース『MOTHER―君わらひたまふことなかれ』
吹田市のメイシアターが開館40周年記念としてプロデュース。大阪出身の歌人・作家の与謝野晶子と鉄幹夫婦を中心に、文学や社会変革に青春を燃やす若者達の姿を描いたマキノノゾミの戯曲を、内藤裕敬が演出。主演はキムラ緑子と升毅。1980年代以降の関西小劇場演劇ブームをけん引した顔ぶれを揃え、長年のプロデュース活動で培った演劇人との関係性の集大成とも言える、公共ホールの意欲作。関西のベテラン俳優と若手も共演、次世代につなげる出会いの場となった点も評価。愛情も社会問題も真剣に気持ちをぶつけあう者達の熱量を伝えた。
メイシアタープロデュース『MOTHER―君わらひたまふことなかれ』
広瀬依子
本作の初演は1994年、東京の劇団・青年座である。好評を得て、以来、青年座で再演されてきたほか、多くの劇団等でも公演が行われてきた。今回は大阪・吹田市文化会館メイシアター開館40周年記念の公演である。
まず企画の魅力が目をひく。脚本・マキノノゾミ、演出・内藤裕敬、主演・キムラ緑子、升毅。第一線で活躍を続ける実力者の顔合わせだ。しかも、ありそうで、なかった座組である。特に1980年代~2000年代頃、関西演劇界の公演に触れてきた観客は、今回のメンバーが関西の演劇を牽引してきたことを思い、胸が高鳴った方が多かったことだろう。また、周囲を固める役も全て関西拠点の俳優がつとめているのも嬉しい。
『MOTHER』は、与謝野晶子(キムラ緑子)と与謝野鉄幹(升毅)の夫婦を中心にした物語である。もちろん、MOTHERは晶子を指す。晶子は歌人としてはもちろんのこと、詩人や評論家としても活躍を続けてきた。鉄幹は晶子の師であるが、次第に立場が逆転し、仕事も暮らしも、やがて晶子がほとんどを担うようになっていく。忙しい晶子と、その活躍と奮闘ぶりに複雑な気持ちを抱く鉄幹の対比が鮮やかだ。
もちろん、晶子・鉄幹の歌人としての成功や葛藤、周囲の人びと—社会主義運動家や弟子たち—との関係も描かれる。だが、軸になるのは生活者としての晶子・鉄幹だ。とりわけ、晶子の奔走は並大抵ではない。多くの観客は、そこに自分を重ね合わせたり振り返ったり共感を覚えたりして、魅かれるのではないだろうか。生活を通して描かれた人びとの物語は、時が過ぎても色あせないのである。また、キムラ緑子、升毅をはじめとする出演者全員が、前に出るべき時は出て、引っ込むべき時は下がる。メリハリのある的確な演技で劇世界を構築し、群像劇としても優れていた。この度は栄えある「関西えんげき大賞」優秀作品賞を受賞させて頂き、本当に ありがとうございました。『MOTHER』の稽古が始まったのが、昨年猛暑たけなわの8月9日からでした。演出の内藤さん、主役のキムラさん、升さんが穏やかで ゆったりとした表情の中、他のキャストの皆様はもう緊張感が溢れかえっていて、それでいて何ともいえない「気持ちの良い心地よさ」が漂い、それは本番最後までそんな感じで進んだカンパニーの公演でした。
そんな素敵なキャスト、スタッフの皆様とこのようなご褒美を頂けたことを改めて心より感謝申し上げます。
((公財)吹田市文化振興事業団 副理事長 古矢直樹) -
MONO『デマゴギージャズ』
SNSの普及で情報の真偽の判別が難しくなり、混迷する現代社会を、山間の古民家の騒動に象徴させて描いた新境地。土田英生作・演出。現代と明治初期の二つの時代を巧みに絡ませ、俳優達は、現代人と先祖の二役を演じ、弱さを抱える憎めない人物を生き生きと造形。なぜ人は嘘を信じるのか。圧倒的な笑いと間合いのセンスで見事に構築した。
MONO『デマゴギージャズ』
加美幸伸
“デマゴギー”根拠がはっきりしない怪しい情報が、“ジャズ”自由で即興的に拡がり蔓延する。
AIにより制作された偽動画が錯綜しSNS上を回遊する現代。疑う余地もなく、真実を追う心も希薄化し、あくまで自身のビートで確信のない情報が、まさに今も増殖し拡散している。そんな心無い現象を、もう一つの時代と行き来することで、その“怪しみ”を解き明かそうとする土田英生の眼差しのベクトルは、今作では明治初期の山間部の村へと向かった。
舞台は出馬と名乗る町の民俗資料館。ここは元、畔上家の持ちものであったらしい。そこを自治体と国が共同活用するために子孫を探し出すという国の制度の下、その子孫といわれる者たちがこの地にやって来る。
この資料館の裏山には“謂れのある石”が存在する。好奇心からそれに初めて触れた子孫の悦子がその“エナジー”に心を乱される。
そして時は地租改正後の明治の時代に移り、今度はその“謂れ”がなぜ生まれたのかが明かされる。
最初は懐疑的だった子孫の悟朗もその奇妙な現象に取り憑かれ、いつの間にかその“謂れ”を受け入れてしまう。徐々に充満する疑念の気配。それに統率されるように、情緒の様子が明らかに変容していく。このムードこそが、違和がいつの間にか調和に包まれるジャズに出会った時のクールな経験に相似している。今作のタイトル『デマゴギージャズ』お見事である。
常に人は人を操って時代を生きてきた。その行為は歴史の中で迷走し、私たちは後にそれを見聞し学習する。そこで説かれた真実や確定も、ある意味怪しいもの。その根拠はどこか曖昧であっても、折り合い標準化され、たとえそれが霊妙なるものであっても史実であると煙に巻かれることもあるはずだ。
そして、ついにこの“謂れ”は権力を失った元町会議員の出馬によって粉砕された。
蔓延するデマが人間の心の隙間に、ジャズの旋律のように軽やかに潜り込み、愛すべきキャラクターたちの巧みな会話が懐疑と安心の間で振り子のように感情を揺さぶってくれた。そして全編で奏でる彼ら特有のリズム、今作でもやっぱり心地良い。私はこれからも、MONOという劇団が発する演劇を、疑わず求めることと思う。MONOは京都で活動を初めて38年目に入りました。今回こそはベストな舞台を創ろうと意気込んでやっているつもりです。けれど夢みがちに未来を語れる年齢でもなく、さらにはとんでもない世界情勢の中で創作を続ける自信がなくなりそうになります。そんな中、こうして評価をいただけることはなによりの励みになります。もう少し頑張れそうです。ありがとうございました!
(MONO 土田英生) -
ロームシアター京都 レパートリーの創造 市原佐都子/Q『キティ』
ロームシアター京都企画製作「レパートリーの創造」シリーズ第8弾。市原佐都子作・演出。生殖を管理される畜産、性も含めたあらゆるものの商品化、家父長制の歪み、そして「かわいい」という鎧を、女性達が着る呪縛の理由。多彩なテーマを集約し、それを肉屋のケースを表す赤い照明、日本語・韓国語・広東語がAI音声で再生される台詞など、斬新な手法でポップに、且つ毒のある舞台にまとめ上げた点が評価された。
ロームシアター京都 レパートリーの創造 市原佐都子/Q『キティ』
梅山いつき
「女は三界に家無し」とは、女は子どもの頃は父親に従い、結婚したら夫に従い、子どもを授かったらその子(想定されているのはもちろん男)に従い、という一生安住できる場所のないことを指す諺だ。では、現代社会において女に安住の地はあるのだろうか?社会におけるアンタッチャブルな問題や性をめぐる矛盾を、大胆不敵かつ繊細に問いつづける劇作家・演出家、市原佐都子。今作では、生殖を管理される畜産、性も含めたあらゆるものの商品化、家父長制の歪みを取り上げた。タイトルの『キティ』とは、「かわいい」の代名詞とも言えるあの有名キャラクターで、本作の主人公でもある。キティは、まさしく「女は三界に家無し」状態の母と、母を蹂躙する父の暴力性に気づいている。「世の中は全てAVだ」と言って、女がどこへ行っても性の対象として眼差される社会の有り様にもうんざりしている。では、彼女は安住の地を得られたのか?「かわいい」を手放せない彼女が行き着く先はどこなのか。本作はグロテスクなほどに強烈な刃で社会を一刀両断しながら、単純な社会風刺に陥っていない。また、本作はロームシアター京都企画製作「レパートリーの創造」シリーズ第8弾でもあり、日本、韓国、香港の俳優陣が時間をかけてリサーチと対話を重ねて作り上げたものでもある。まるで痙攣するかのような動きを反復し、救いのない、“無限かわいい地獄”を表現した俳優陣。荒木優光が手がけた音楽が本作のキッチュさを強調し、電飾の赤とも相まって、ポップかつ毒のある舞台にまとめあげた点も高く評価された。
この度は優秀作品賞に選出いただき、誠にありがとうございます。
本作は、韓国でのリサーチをもとに市原佐都子さんに書き下ろしていただいた新作で、京都・大阪・兵庫・奈良・東京・ソウル・香港を拠点とする舞台人が京都に集い、創作しました。市原さんをはじめ、俳優のみなさま、スタッフのみなさまの舞台表現への果敢な挑戦と、ユーモアあふれるアイディアが結実し、作品として立ち上がっていく時間は、とても豊かなものでした。
ご尽力くださったすべてのみなさまに、あらためて心より感謝申し上げます。
(ロームシアター京都 小倉由佳子・木原里佳)
ネクストドア賞の評価理由
副賞
1劇場を選び、上演支援を1回受ける ことができます。3年以内有効。
| ウイングフィールド (大阪市) |
1日55,000円(税込み) 機材費無償 |
|---|---|
| 一心寺シアター倶楽 (大阪市) |
劇場費80パーセント(管理人件費55,000円 - 税込み - 実費) 及び稽古場の提供協力 |
| THEATRE E9 KYOTO (京都市) |
利用料6日間250,000円(税別) 管理人件費・機材費無償 (電気代は実費) |
| 江原河畔劇場 (兵庫県豊岡市) |
劇場費・機材費・電気代無償 |
| <上記に加え、関東圏で公演をされたい場合は次の利用も可> | |
| 横浜・若葉町ウォーフ (神奈川県横浜市) |
劇場・楽屋・宿泊(二段ベッドの8人部屋)の利用料 それらすべてを含め、(冷暖房費のみ別) ・週末木・金・土・日曜4日間トータルで162,000円(税込) |
| ウイングフィールド (大阪市) |
1日55,000円(税込み) 機材費無償 |
|---|---|
| 一心寺シアター倶楽 (大阪市) |
劇場費50パーセント(管理人件費55,000円 ‐ 税込み ‐ 実費) 及び稽古場の提供協力 |
| THEATRE E9 KYOTO (京都市) |
利用料5日間200,000円(税別) 管理人件費・機材費無償(電気代は実費) |
| 江原河畔劇場 (兵庫県豊岡市) |
劇場費・機材費・電気代無償 |
| ウイングフィールド (大阪市) |
劇場費無償(人件費・電気代含む) 機材費のみ有償 |
|---|---|
| 一心寺シアター倶楽 (大阪市) |
劇場費無償(管理人件費55,000円 ‐ 税込み ‐ 実費) 及び稽古場の提供協力 |
| THEATRE E9 KYOTO (京都市) |
劇場費・機材費無償 (管理人件費70,000円‐税別‐電気代実費) |
| 江原河畔劇場 (兵庫県豊岡市) |
劇場費・機材費・電気代無償 |